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2005年07月05日

変なじいさんの話

 一人で小屋づくり始めた俺の作業を、いつも遠くの田んぼ道からみているじいさんがいた。そこは村の集落から離れた崖っぷちの、草ぼうぼうの田んぼの中で、人が住むような場所ではなかった。そんな所に得体の知れないよそ者が、薪にするような廃材でなにやら作りはじめたのだ。集落の住民の、疑心と好奇心を刺激したにちがいないが、排他的で、閉鎖的な村人はだれひとり近寄ってこない。誰も正体不明のよそものに、かかわりを持ちたくないのだ。そのじいさんだけが、遠くからとはいえ、田んぼの農作業の行き帰りに、立ち止まっては、俺の小屋づくりを眺めていくのだ。はじめは俺のほうが無視していたが、いつか、どっちからともなく会釈するようになった。トタン屋根がやっと出来上がったとき、俺は脇の小道の土手に腰かけ、満足なおもいでそれを見ていた。その時、ふと、人の気配にふりむくと、すぐそばにじいさんが立っていた。らっきょう形の顔におおきな耳とおおきな鼻、てれくさそうに丸刈りの白髪あたまに置かれた手も大きい。長い眉毛の下の垂れ目が、しわの中で恥ずかしそうに微笑んでいた。富岡鉄斎の画中の人物のような風貌である。違うのはその衣服で、よれよれで泥まみれのシャツ、穴だらけのズボンは、左右ちがう長さにまくりあげられ、そこから突き出た筋張った足も大きく、裸足だった。顔やしぐさに似合わず、せすじを伸ばしてすっくと立つ姿には、古武士の風格があった。じいさんは、土手に腰かけている俺の前まで、無言で数歩あゆみよると、いきなり石だらけの地面に正座した。節くれだった大きな手を、破れたズボンの膝にきちんと置くと、深々と頭をさげてこう言った「絵描きさんだと聞いたんでごいすが、、、先生は、三条小鍛冶宗近の生まれ変わりじゃあねえかと、おれ、こう思うんだけんど、いかがなもんでごいしょう」あっけにとられて戸惑う俺をしり目に、じいさんはたたみかけるように「能の<小鍛冶>ごぞんじでしょう、きつねに向こう鎚を打たせた刀鍛冶でごいす」実は能のことも刀鍛冶のことも、俺は何も知らなかったのだが、じいさんの話はこうである。平安時代の昔、京都三条に住む宗近という刀鍛冶が、この地に来て刀を造った。その鍛冶場のあったところが、俺のところのすぐ後ろで、そこの崖下の川岸を鍛冶屋淵というのだそうだ。俺がその刀つくりの鍛冶屋さんの生まれ変わりではないかという理由を、じいさんはこう言うのだ。刀というのは一人では造れない、向こう鎚という大きなトンカチで刀をたたく助手が必要なのに、宗近さんは(じいさんは、宗近と呼び捨てにしない)一人で刀を造った。見ていれば、あんたも、一人では絶対無理だと思われる作業をやりこなしている。それに、この村に住み着いたよそ者は、宗近さん以来千年このかた、あんたが二人目。それが共に芸術家というのは、けっして偶然じゃない。あんたは宗近さんの再来にちがいない。これがじいさんの意見だった。そしてその後、よそ者の俺に村でただ一人、心をひらいて受け入れてくれたこのじいさんと、長く、親密なつきあいが続くのだ。じいさんの名は彦一。奇人である。

投稿者 kuntaro : 2005年07月05日 18:33

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